国府弘子(ジャズピアニスト)の経歴や出身や夫は?闘病生活を支えたものは?【ハートネットTV】

みなさん、こんにちは。チョコです!

苦しい闘病生活を送っていながら、

逞しく自分らしく生きている方が

たくさんいる中で、ジャズピアニ

ストの国府弘子さんも乳がんと向き

合って闘ってきた姿が「ハートネット

TV」で放送されました。

国府弘子さんの軌跡を辿ってみました。

<目次>

  1. 国府弘子の経歴や出身
  2. 国府弘子の乳がん発覚は?
  3. 国府弘子の闘病生活とピアノ
  4. 国府弘子を支えた夫は?
  5. まとめ

国府弘子の経歴や出身

国府弘子

出典:https://twitter.com/hirokokokubu

誕生日:1959年8月26日

出身:東京都渋谷区

学歴:国立音楽大学器楽学科ピアノ科

ピアノを始めたのは、3歳の頃

からで、3歳年上のお姉様の影響

だったそうです。

大学在学中に、ジャズに目覚め、単身

渡米を卒業後にします。バリー・

ハリスに師事し、1987年にデビュー

します。

現在は、川崎市文化大使、埼玉入間市

文化創造施設のアドバイザー、平成

音楽大学、尚美学園大学客員教授と

して活動しています。

国府弘子の乳がん発覚は?

2009年に乳がんが発覚します。

幸い手術は成功しましたが、再発を

防ぐための術後のホルモン治療に

苦しみます。体の不調だけではなく、

心も病んでしまい、目が覚めると

待っているのは絶望だけだったそう

です。

ピアノを弾いていること自体にも

罪悪感さえ感じてしまうことがあった

そうです。

そんな時に、ご主人の提案で、がんを

ポンと呼ぼうと言われ、たったそれだ

けのことが、国府弘子さんを救います。

大したことでないようで、その提案が

思いついたのは、国府弘子さんと

同じように癌という病にご主人も共に

苦しんでいたからなのでしょう。

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国府弘子の闘病生活とピアノ

ポンと呼ぶようになってから、ブログ

を読んでいるファンの方からの反響は

大きかったようです。そうしている

うちに、考え方が変わり始め、徐々に

前向きになってきたようです。

ホルモン治療が5年後に終わり、真摯

にピアノに向き合い始めます。そして、

8年ぶりに「ピアノ1丁」を出すこと

になります。そこには、心身ともに

苦しんだ経験をもとに、自ら癒された

いと思って作った組曲の「ピアノ

テラピー」が収録されているそうです。

病気を経験してから得た音色がある

そうです。苦しみから脱却した後の

音色だからこそ、色々な人に届けら

れる貴重な音になっているようです。

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国府弘子の夫は次のページへ!

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