みなさん、こんにちは。チョコです!
平昌パラリンピックに向け、必死に
生き様を見せようと闘っている
バイアスロン代表選手の高村和人
さんに迫ってみました。
学校の先生ということもあって、
ご自身の生き方も教育の一環では
ないかと思えるような姿に感銘
を受けてしまいました。
出典:https://twitter.com/hashtag/%E9%AB%98%E6%9D%91%E5%92%8C%E4%BA%BA
<目次>
- 高村和人の経歴や家族
- 高村和人のスキー人生
- 高村和人の目標は?
- 高村和人の伝えたいことは?
- 高村和人の平昌パラリンピック
- まとめ
高村和人の経歴や家族
秋田県仙北市出身の35歳です。
小学校5年生の時に、網膜色素
変性症と診断され、野球をしていて
ボールを見失うようになったそうです。
中学校に入ると、視力が急激に低下
し、今では、明るさが感じられる
程度だそうです。そんな中で、パラリン
ピックを目指すには、家族の支えが
ありました。
奥さまの真樹さんは、明るく支えて
きます。そして、二人のお子さんの
存在がまた高村さんの生きがいの
ようです。時には射撃の練習をして
いると、娘の波那ちゃんが背中に
乗り邪魔することもあるようですが、
そんなこともあるかもしれないと
前向きにとらえ、トレーニングを
続けるそうです。息子の青波くん
の元気さは、高村さんの子供時代
によく似ているようです。
そして、驚いたのが、ランニング
に伴走しているのは、義父でした。
そんな家族の支えあって、高村さん
の生き方が支えられているので
しょう。
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高村和人のスキー人生
16歳の時に両親の勧めで、視覚
支援学校に転入し、恩師の鷺坂
和明先生の影響が今後の人生を
大きくかえます。鷺坂先生は
全盲でした。見えなくても、
できることはたくさんあること
を教えてくれた先生の影響を受け、
猛勉強し、母校の先生になります。
そこの同僚に勧められ、スキーを
始めたのは、5年前でした。
岩手県立盛岡視覚支援学校実習
教諭で教師をしながら、練習に
励み、パラリンピック出場を決め
ました。
この大舞台で、恩返しをしたいと
決意を語っています。人の出会いや
勧めで自分の人生が切り開いていく
なんて、素敵な話ですよね。
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高村和人の目標は?
ガイドの藤田さんと共に、ここまで
結果を出し、平昌の切符を手に入れ
た高村さん。二人で声を掛け合い
ながら、何度も滑り、二人の動きを
合わせていきます。二人が信頼し、
分かち合うことで、深めていった
関係はすごいですよね。
ガイドの藤田さんの記事は↓
二人で頑張ってきた先には、平昌
出場が目標でした。その目標が、
達成した二人には、また新たな
目標が生まれてきます。そんな風に
継続して目標を持つことが目標の
ようです。
高村さんの伝えたいことは次のページへ!