すみなさん、こんにちは。チョコです!
平昌パラリンピックで、騎手として
活躍している村岡桃佳さん。
4歳の時に脊髄炎になり、車いすに
なってしまったとのことですが、
意志の強そうな雰囲気やキリっと
姿にパラリンピックが楽しみになった
方も多いのではないでしょうか。
村岡桃佳さんのここまでの競技生活
についてまとめてみました。
出典:https://www.challenge-support.com/athlete_interviews/int10/
<目次>
- 村岡桃佳の経歴
- 村岡桃佳の選手生活
- 村岡桃佳の家族
- 村岡桃佳の平昌までの道のり
- 平昌での結果は?
- まとめ
村岡桃佳の経歴
誕生日:1997年3月3日
出身:埼玉県
出身校:正智深谷高校
所属:早稲田大学スキー部
得意競技:ジャイアントスラローム
陸上を中心に様々なスポーツを挑戦
しながら、小学校2年生の時にチェア
スキーの体験会に参加したことが、
きっかけで中学2年生の頃から、本格
的に競技スキーを始めます。
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村岡桃佳の選手生活
高校3年生の時にソチパラリンピック
に出場し、大回転で5位入賞します。
高校生で五輪デビューもすごいですが、
入賞するなんて、努力の結果なの
でしょう。
現在は、早稲田大学に通いながら、
ワールドカップツアーに出向き、
夏は、ニュージーランドやチリに
海外遠征し、10月半ばには、北半球、
オーストリア氷河でのトレーニング
をするといった生活を続けている
ようです。
たまの休みは、家でゴロゴロして
いるそうで、普通の21歳の女性
の姿にもほっとしますよね。本も
好きだそうです。
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村岡桃佳の家族
競技を始めたころは、チェアスキーの
ジュニアの選手は、村岡桃佳さんしか
いなかったそうです。
競技を始めたころは、コーチや指導者
もいなかったので、お父様がコーチ
をしてくれていたそうです。
怖くて、痛くて、寒くて、本当に
何度も心が折れそうになる中、お父様
が根気強く付き合ってくれたそうです。
そんなお父様には感謝の気持ちしか
ないそうです。
お父様と共に支えてきたのは、お母様
で、早稲田大学のスポーツ推薦を受け、
スキー部に入るには、寮生活が強いら
れてきました。
その寮も村岡選手のために、バリア
フリーに改装され、そこのチャックな
どを入念にしてきたのは、お母様の
操さんだったそうです。娘の寮生活
を誰より心配し、支えてきた存在
だったのでしょう。
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村岡桃佳の平昌までの道のり
早稲田大学のスキー部に入って、
寮生活が始まってから、村岡桃佳
さんは、内面的にも成長を遂げます。
当時監督だった倉田秀道さんは、入学
が決まった時点で、女子寮のバリア
フリー化を提案し、実現してくれます。
障害者スキーを始めて受け入れる
には、相当の覚悟がいったでしょう。
でも受け入れてからは、誰よりも
近くで村岡桃佳さんを支えてきて
くれたはずです。
倉田さんは損害保険会社に勤務する
かたわら、2003~16年夏に
監督を務めてきました。当時は、
村岡桃佳さんの推薦入学を反対する
声も上がる中、部員とスキーをきち
んとやっている村岡桃佳さんを見て、
受け入れる決意をしたそうです。
村岡桃佳さんのスキーに対する活動
の姿がみんなの目に焼き付いたん
ですね。
同じ寮に住む仲間も励ましてきた
村岡桃佳さん。けがに苦しむ仲間
を車で送迎し、気が付いたら、村岡
さんが仲間の足になっていたそうです。
普段は助けてもらう存在の自分が、
誰かを支えていることが、村岡さん
の励みになったようです。
そんな人間性もあって、平昌パラ
では、騎手にまでなったのでしょう。
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