みなさん、こんにちは。チョコです!
瀬戸内寂聴さんの愛弟子の小林陽子
さんに「人生が変わる1分間の深
イイ話」で密着してましたね。
なんとも強烈キャラで、一度見たら、
目が離せない小林陽子さんですが、
壮絶な人生を歩んできたそうです。
自殺まで考えてしまった人を救って
しまう瀬戸内寂聴さんの言葉には、
どんな魔法が含まれているんでしょう。
素敵な関係ですよね。
そんな小林陽子さんについて、まとめて
みました。
<目次>
- 小林陽子の経歴やwikiは?
- 小林陽子が移住コーディネーターになったきっかけは?
- 瀬戸内寂聴との出会いは?
- 小林陽子の結婚(夫・旦那・子供)は?
- まとめ
小林陽子の経歴やwikiは?
出典:https://go-migishita.com/2016/04/436/
誕生日:1950年
年齢:67歳
出身:徳島県海部郡日和佐町(現美波町)
職業:移住コーディネーター
徳島から関西に進学し、1983年の
33歳の時にUターンし、同じ徳島
出身の瀬戸内寂聴さんの私塾『寂聴塾』
の2期生として参加します。
43歳から約20年間、ウィーンの森
バーデン市劇場の日本公演の総合
プロデュースをしていたそうです。
全国のホールを回って売り込みに
行き、公演が決まるとキャストや
大道具、小道具などのスタッフも
含め100人の劇団員のワーキング
ビザやツアーの手配、オペラを
知ってもらうためのセミナーや
PRのためポスターやパンフレット
の作成、チケット販売や資金繰り
などの一切合切を一人で面倒たそう
です。
小林陽子さんの根気強さが伺えますよね。
現在は、美波町のカリスマ移住コーディ
ネーターとして、活躍されていますが、
そこに行きつくまでに役に立ったのが、
お節介な性格のようです。
世の中の動きより一歩早いところに
気が付く才能があって、注目したことが
社会現象として問題になるというのです
からすごいですよね。
すっかり、大阪出身のノリのいい方に
見えていたので、徳島出身と聞いて、
違和感があったのですが、関西にいた
経験からなんですね。
スポンサードリンク
小林陽子が移住コーディネーターになったきっかけは?
大阪から実家の新聞店を継ぐために
徳島に戻った時は33歳だったそう
ですが、大阪と故郷の違いにカル
チャーショックを受けたそうです。
自分がUターン移住者としてした
苦労をこれから田舎で暮らしたいと
来る移住者に同じ思いを少しでも
してほしくないと思ったからだそう
です。
実家が新聞販売店をやっていたお陰で、
空き家情報には詳しかったので、移住
者や店舗を始めたい方へのアドバイス
がしやすかったそうです。
2014年時点では、小林陽子さんの
コーディネーターの給与は3万円
だったそうです。
お店をオープンした方がいれば、
お店に通い売り上げにまで貢献
しています。
2016年時点で移住者のお世話を60組
はしてきたようで、定住率は100%!
そこには、小林陽子さんの頼りがい
ある人柄が関係していますよね。
スポンサードリンク
瀬戸内寂聴との出会いは?
1981年に開校した寂聴塾に2期生
として参加したのが出会いだった
そうです。
寂聴塾とは、徳島県の文化向上のため、
瀬戸内寂聴さんが手弁当で始めた私塾
です。
小林陽子さんは、文章を書く塾だとは
知らずに参加したそうですが、書く
ことによって、自分を見つめなおす
きっかけになったのです。
瀬戸内寂聴さんは、辛抱することは
しなくていいと小林陽子さんに
伝えていました。小林陽子さんも
瀬戸内寂聴さんの前だと子供のように
素直になってしまうみたいですね。
夫や子供については次のページへ!