みなさん、こんにちは。チョコです!
福島県いわき市で震災後も輝きを
忘れることなく、輝き続けた女性
達、フラガールについてまとめま
した。
当時は、日本中で震災と向き合い
苦しんできた方々が多く、誰かの
ために何をすればいいのかを見失って
いた方も多かったのではないでしょ
うか。
そんな中、フラダンスを踊ることで、
元気を分けてきた大森梨江さんが
いました。
大森さんの現在やフラダンスの歴史
についてまとめました。
出典:http://kansai.pia.co.jp/news/cinema/2011-10/ganbappe.html
<目次>
- フラガールの誕生秘話とは?
- フラガールメンバー
- 震災後のフラガールの活動
- 大森梨江(モアナ梨江)の引退
- 大森梨江(モアナ梨江)の現在
- まとめ
フラガールの誕生秘話とは?
明治以来、炭鉱で栄えた町が落ち
込み始め、炭鉱労働者やその家族
の雇用創出、さらに同社の新たな
収入源確保のためだったそうです。
1941年のことでした。
1966年、常磐ハワイセンターと
して、オープンし、高級レジャー
施設として成功し、呼びものと
して、始まったのが「フラダンス
ショー」でした。
1990年、オープン25周年リニュー
アルし、「スパリゾートハワイアンズ」
に改名し、オープンするまでになり
ます。
1期生のフラガールを誕生するまで
には、かなりの苦労があったよう
です。
日本のフラダンスの草分けの早川
和子さんが、盆踊りしか踊ったこと
がない町の若き女性たちを熱血指導
し、日本にフラガール1期生を誕生
させます。短期間で素人の女性たち
を立派なフラガールに育て上げた
ことは語り継がれています。
たった4人の生徒で始まったフラガー
ル。1期生が誕生した当時は、肌を
露出するのも恥ずかしかった時代
だったそうです。そして3か月で
プロへと成長してしまいます。
寒い地域の福島ではヤシの実も枯れて
しまうこともあり、当時反発を受け
ながらも、ストーブを集めヤシの木を
復活させたりと感動秘話の連続でした。
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フラガールメンバー
現在33名のダンサーが所属している
ようです。2017年4月に12人の
新人ダンサーを迎え、より賑やかに
なったようですね。
進化を感じたのは、福島県出身の
ダンサーだけでなく、1/3は、東京
や他県から来ていることでしょうか。
全国的にその活動が認められている
ということですよね。
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震災後のフラガールの活動
2011年3月11日の震災の時は、施設
も被害を受け、営業停止になりました。
そんな中、被災地を回り、フラダンス
を踊る活動を続けていました。震災
から2ヵ月後のゴールデンウィーク
から、フラガールたちは3つの班に
分かれて、避難所でダンスを披露
するキャラバン活動を始めました。
県外に避難した人たちのもとにも
行くと、涙を流して喜んでいたそう
です。
その活動の中心になったのが、大森
梨江さんでした。
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大森梨江(モアナ梨江)の引退
2012年2月から再開し、6月からリー
ダーを務め、4年間フラガールたち
を引っ張ってきましたが、右股関節
の状態が悪化し、痛みに耐えて踊り
続けても、納得のいく踊りができ
ないと引退を決意しました。
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