吉永一貴(ショートトラック平昌代表)の出身や高校や成績は?母と叔母は名選手だった!

みなさん、こんにちは。チョコです!

18歳のエースとして、大注目を

浴びているスピードスケート・

ショートトラックの吉永一貴さん。

日本男子史上最年少の五輪代表で、

平昌五輪のチームの主力です。

そんな18歳の現役高校生のすべて

に密着してみました。

家族にも名選手がいると聞いて、

ビックリ!サラブレッドスケーター

だったのです。

吉永一貴

出典:https://twitter.com/23fa859ae710411

<目次>

  1. 吉永一貴の出身や経歴
  2. 吉永一貴のスケート人生
  3. 吉永一貴の成績
  4. 吉永一貴の家族
  5. 吉永一貴と平昌
  6. まとめ

吉永一貴の出身や経歴

誕生日:1999年7月31日

出身:愛知県尾張旭市

高校:名古屋経済大学市邨高等学校

身長:173㎝

競技との出会いは、小学校低学年

ころでした。お母さまの美佳さん

に連れられて大会を観戦し、「小

さなリンクをめまぐるしく回る

スピード感がすごかった」と引き

こまれたそうです。

そのあと、スケート教室に入ると、

周囲が驚くほどの努力で力をつけ

たそうです。

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吉永一貴のスケート人生

母親と叔母がスピードスケートの

すごい選手だったにもかかわらず、

スケートを強制されることはなか

ったそうです。

小学校3年生で競技を始めた後、

お母様のやるのなら、中途半端

ではダメ!の言葉を吉永一貴

さんは守り続けました。

中2だった14年1月には、ソチ

五輪の代表合宿にサポートで参加し、

転倒した選手のスケート靴の刃が

右の頬に刺さり、傷口がパックリ

と開く大けがをします。その時に、

10針縫った息子に母は「顔で良か

ったね」と言ったそうです。競技に

影響が出る脚でなかったことを喜び、

吉永一貴さんも「全然平気」と笑った

という、エピソードがあります。

親子でスケートに対しての覚悟を

感じますよね。

その後もずっと母子二人三脚で、

スケート人生を頑張ってきました。

2017年春からは母子で強豪国の韓国

に住み込み、力を高めてきました。

勝負にこだわる厳しさを学びました。

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吉永一貴の成績

2014年、全日本距離別選手権

1500メートルで初優勝します。

2016年、全日本選手権では史上

最年少の総合優勝を果たします。

同年、ユースオリンピック冬季

競技大会では、500m 銀メダル,

1000m 6位,NOC混合リレー

銅メダルを獲得します。

2017 、全日本ショートトラック

選手権大会で、 総合2位になり、

世界ジュニアショートトラック

選手権大会では、総合3位に食い

込みました。

最近は、自分の展開に持ち込み、

いいレースができるようになったと

言っていました。調子は抜群のよう

ですね。

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吉永一貴の家族

お母様は、1983年の世界選手権まで

活躍していた加藤美佳さんでショート

トラックの選手でした。1970年代末

から1980年代初めにかけ活躍して

いました。

そして、なんと叔母さんは、レーク

プラシッド五輪の代表選手でした。

1983年全日本選手権大会では総合

3位、東京・品川で行われた第3回

ショートトラックスピードスケート

世界選手権では姉美佳2位、妹美善

3位と活躍し、話題になりました。

平昌に向けては次のページへ!

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