兼高かおるの活躍や経歴や現在は?ジャーナリスト時代や女学校時代は?

みなさん、こんにちは。チョコです!

「世界不思議大冒険」で60年分の

秘蔵映像が流れ、兼高かおるさんの

美しい姿が気になりました。

様々な旅をし、取材を重ねてきた

兼高かおるさんは、黒柳徹子さんの

先輩でもあり、尊敬する存在のよう

です。

そんな兼高かおるさんの90歳になっ

ても輝く続ける人生や奇跡をまとめ

ていました。

<目次>

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  1. 兼高かおるの出身や経歴
  2. 兼高かおるの女学校時代
  3. 兼高かおるのジャーナリスト時代
  4. 兼高かおるの現在は?
  5. まとめ

兼高かおるの出身や経歴

出典:http://www.jprime.jp/articles/-/9151

誕生日:1928年2月29日

出身:兵庫県神戸市

学歴:ロサンゼルス市立大学

お父様がインド人で、お母様が日本人

のハーフとして生まれます。

香蘭女学校では、黒柳徹子さんの

先輩にあたります。

始めて一般女性で南極点に到達した

方で、当時女性の南極渡航は許可

されていなかった時代で、そんな

時代にロサンゼルスの大学に通い、

世界中飛び回っていたことが、世界

観の違いを物語っています。

どんな時代にも能力が高かった女性

が存在したのだと、実感させられて

しまいますね。

兼高かおるの女学校時代

兼高かおるさんや黒柳徹子さんの

原点となっている香蘭女学校とは、

どんな学校なのでしょうか?

今の時代には珍しく、女学校と名

乗っている中高一貫です。高校から

の入学は認めていないそうです。

明治時代から続く名門校なので、今

でも厳しさも残っているようですが、

マナーなどを学べない現代社会に

おいては、本当の女性の姿が学べる

学校かもしれませんね。

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兼高かおるのジャーナリスト時代

『兼高かおる世界の旅』は、1959年

から1990年のかけて30年10か月の

間、兼高かおるさんが、ディレクター、

プロデューサー、レポーター、ナレー

ター、そして時にはカメラマンをすべ

てやり、世界160か国周り、取材した

映像を放送していた番組です。

たくさんの凄い映像に兼高かおるさん

だから、できた取材も多かったよう

です。

なぜ、兼高かおるさんは、ジャーナ

リストになったのでしょう。

ロサンゼルスでの大学生時代に、

寝る間もないくらい勉強した兼高

さんは、体重が激減、結核になって

しまっていました。現代では、結核

はそんなに騒がれませんが、当時は、

隔離されてしまうほどの国民病

でした。帰国後、兼高さんは、英語

を忘れないようにと、訪日外国人の

ガイドとインタビューの仕事を始め

ます。そのことがきっかけで、後に、

「80時間世界一周」を打ち出し、

注目を浴びるようになります。

兼高かおるさんの現在は次のページへ!

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