小島慶子のオーストラリアの子育てや移住後の生活は?TBS退社のきっかけは?

みなさん、こんにちは。チョコです!

夫の退職により、突然の大黒柱で

有名になった小島慶子さんが、オー

ストラリアでの生活を公開しました。

普通なら、うらやましいと思う

海外生活ですが、なぜか大変そう

だと感じてしまう小島慶子さんの

生活とはどんな感じなのでしょう?

小島慶子さんの経歴と共に調べて

みました。

小島慶子

出典:https://twitter.com/kojimakeiko

<目次>

  1. 小島慶子の経歴
  2. 小島慶子のTBS退社のわけ
  3. 小島慶子が大黒柱になったとき
  4. 小島慶子のオーストラリアでの子育て
  5. まとめ

小島慶子の経歴

1972年、オーストラリア生まれの

45歳です。

学習院女子中・高等科へ進学、15歳

の時に摂食障害を経験します。この

頃から、繊細な性格だったようです。

学習院大学法学部へ卒業後、1995年

TBSに入社します。172センチと身長

が高いことから、小倉弘子アナと共に

「TBSのツインタワー」と言われて

いたそうです。

30歳で長男を出産し、産休後には報道

番組を担当します。33歳で次男を出産

します。

2010年にTBSを退社し、2013年に

オスカープロモーションに移籍します。

その頃にテレビ制作会社勤務の夫が

退職したのを機にオーストラリアに

移住します。

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小島慶子のTBS退社のわけ

2010年当時の記事には、10年ほど

前から自身の可能性を試すために

独立をしたいと考えている旨を

話していたようです。幅広い分野

で自分の才能を活かせるかどうか

を試してみたいと思ったみたい

ですが、本当にそうなのでしょうか?

当時、ツイッターでも周りは「フリー

アナウンサー」になるんだと公表し、

本人は「ラジオパーソナリティ」だと

訂正していました。そのやりとりには、

こだわりさえ見えました。

普段から、テレビでのアナウンサー

活動に母親からのダメ出しとかに

悩まされていたような発言もあり、

もしかしたら、静かに活動をした

かったのかもしれません。

母親からの依存から解放される

ためには、TBSの退職が必須

だったのでしょう。

小島慶子が大黒柱になったとき

2013年初めころから、夫が退職を

したいと言い出していたらしく、

辞めることを賛成した後に、責任感

の強い性格の小島慶子さんは、不安

に襲われ、ご主人に当たり散らして

しまったそうです。

子供の教育にも生活もしやすくなる

だろうと考え、オーストラリアに

移住してからは、オーストラリアと

日本を往復する生活が始まります。

どんなに大変でも生活に変化を

つけることで、小島慶子さん自身

も変わったようです。

小島慶子のオーストラリアでの子育て

ツイッターだけでは、日本の教育

との違いはそんなにわからないかも

しれませんが、オーストラリアでの

教育は、のびのびしているようです。

公立のハイスクールで先生が2歳の

子供を連れてきて授業をすると

いいます。そんな光景は、日本では

絶対に考えられませんし、子供たちは

生きた勉強をできると羨ましくも

思いますよね。日本では、賛否両論

なのでしょうか。

まとめ

小島慶子さんの人生のほんの一部

しかまとめることができなかった

ように思いますが、女性らしい

弱さと男性のような強さを持ち

合わせた女性なのでしょう。

誰もがこんな風に生きることは

出来ないかと思いますが、同じ

ような環境になった時に、自分

だったら、どんな決断をするか

考えさせられましたよね。

執筆活動をしていて、いろいろ

な本も出されているので、迷った

時には読んでみるのもいいかもし

れません。

今後も女性の強さを見せてもらえる

でしょう。楽しみにしていきましょう!

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