塩尻美智子がケニアで暮らす訳とは?亡き娘・息子のために【キテレツ人生】

みなさん、こんにちは。チョコです。

ケニアで貧しい子供達と暮らす、

塩尻美智子さんをご存知ですか?

ご主人と共に、ケニアの子供達の

支援を積極的に行っています。

素晴らしいのが、お二人とも

義務感ではなく、ご自分達の

使命だと思っているところです。

なぜ、ケニアに辿り着いたのか、

壮絶な過去をどう受け入れたのか、

どこまでお伝えできるか、

わかりませんが、

調べてみました。

出典:http://melike.info/article/2439/

<目次>

  1. 塩尻美智子がケニアに行ったきっかけ
  2. 長女と三男の死
  3. 塩尻美智子の夫は?
  4. まとめ

塩尻美智子がケニアに行ったきっかけ

「アフリカの飢えた子供達に

ミルクを」キャンペーンで、

1989年に美智子さんのご主人が

先にアフリカに行ってました。

3か月間のお手伝いを終え、帰国

しようと思っていた時に、

美智子さんから「私も行くから」の

電話があります。

子供が5人いる美智子さんに

神の声が聞こえたと後に

振り返って、そう言います。

今、行かなきゃ!と思った

そうです。

引き寄せられるように起こす

行動は、成功することが多い

ものです。行くべきしてケニアに

行ったのでしょう。

長女と三男の死

当たり前の生活ができる環境に

しようと取り組んでいる矢先に

9歳の長女の直美さんが

マラリラでお亡くなりに

なったそうです。

家族で日本を離れることも

考えたそうです。でも、その時

美智子さんは、娘をここに

置いていけないと、ケニアを

離れることを反対したそうです。

魂の部分で娘さんと

離れてしまうように思った

のかもしれませんね。

同じように亡くなっていく子供達

を増やさないように、娘の死を

無駄にしないようにと、診療所

を建てます。それが「メルーの

診療所」です。娘さんの死から

4つの診療所ができたとのことです。

娘さんの死を無駄にしたくないと

いう思いだけだったのでしょう。

こんな風に、自分の子供の死を

受け入れることができるのでしょうか。

この事実を聞いた時に、こんなに強い

女性はいないとビックリしました。

2014年には、三男の吉太郎さんが

不慮の事故でお亡くなりになって

います。そのつらい出来事の後も

ケニアを離れることは、

ありませんでした。

塩尻美智子の夫は?

塩尻安夫さんと言って、美智子さんと

一緒に活動しています。夫婦で、常に

ケニアの子供達をどう救おうか、

取り組んでいる中で、安夫さんの

一言で、美智子さんが行動を起こす

ことも多いようです。

職業訓練学校もその一つで、

原点になったミシン教室を

始めたのも、安夫さんの一言から

始めています。それが、

国立国家試験の指定所にまで

なってしまうんですから、

本当にすごいですよね!

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まとめ

常に笑顔を絶やさない美智子さんは、

ケニアの人たちは、笑っている状況

ではないときに、笑顔だったり、

踊ったりしていると言います。

物理的には、日本人が恵まれて

いますが、心理的には、日本人は

恵まれていないのだと、思って

しまいませんか?

塩尻美智子さん夫婦の意志を

受け継いでいるのが、お子様

たちで、ご長男の一道さんは、

大手商社に勤め、日本とケニアの

橋渡し役を、次男の大輔さんは

妹の死を無駄にしたくないと、

意志の道に進みます。

次女の喜子さんは、ケニアに

日本料理店を出すのが夢の

ようです。

ご両親の純粋にケニアで

何でも役にたちたいと、儲け関係

なく、活動されている姿に、

お子様たちは全員感銘を

受けているのでしょう。

もちろん、天国の直美さん、

吉太郎さんもそうに違いありません。

体が元気でも心が元気ではない人が

多い現代の中で、心を元気に

してくれるケニアとは、どんなに

素敵な場所なのでしょう。

お二人の活動を通して、

今後も感銘を受けることが

多いことは、間違いなさそう

ですね。

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